ナイファンチの愉楽

沖縄空手の首里手系では、基本にして最重要とされている型、それが『ナイファンチ』です。

一見すると単純でありながらも、非常に奥の深い型で、初心者から熟練者までもがナイファンチを鍛錬の中心に据えているという実体が、さまざまな流派の稽古内容からも察せられることでしょう。

当流でも入門して二週間も経つ頃には、ナイファンチの指導に取りかかります。

まったくの初心者からすれば、ひたすら横に動いては、両手を交差させたり、脚を上げたり降ろしたりを繰り返しているだけに見えるナイファンチは、さぞかし奇妙な型に思えることでしょう。

ところが、型を打っていくうちに、単調ともいえる一連の動作の中に、何やら秘められた力が流れているような気配を覚えはじめる。西洋のスポーツとは違う、独自の原理によって力が生みだされていく体感にも、あるいは気づくかもしれません。

また、競技空手や格闘技の経験者であれば、真横に動き続けるナイファンチの動作に、最初は戸惑いを覚えることでしょう。
試合や組手では、相手に対して真横を向いたり、真半身になったりといった場面は、まず見受けられないからです。

しかしナイファンチを繰り返すうちに、真横を向いて動く意味にも、次第に気づいていくはずです。
普段とは違う身遣いに体をはめ込むことで、身体感覚を増幅させたり、知らずに身についてしまった癖をなくすといった効果が、そこには込められているということにも。

空手の型の素晴らしさは、この“型にはめ込むことによって潜在能力を発揮させていく”というあたりに、集約されているといっても過言ではないでしょう。

サンチン、セーサン、パッサイ、ウーセーシー、ワンシュウ、チントウ、クーシャンクー。
長く親しまれてきた型には、人間の潜在能力を引き出すための先達の智慧が、深く息づいているものです。

その中でもナイファンチには“眠っていた身体を起動させる”という効果が最大限に込められています。

中心軸を意識し、力を生じさせ、集約させて解放する感覚。

目付はできているか。仮想敵をとらえているか。

起こりを消し、先を取るための歩法。

中心から動き、末端に伝える。

末端から動き、中心の力を伝える。

ムチミ(餅身)による捕り手と崩し。

しなりと寄り戻しによる爆発の連続。

力を解放したあとに居着いていないか。よどみなく次へ繋げられるか。

波返しによる高度な重心移動。

交差法と呼吸の一致。

これらの動作がナイファンチには、別個のものとしてではなく、ひとつの流れとして内包されています。
この一連の動作を行うことによって、日常生活では眠っていた感覚が、全身に行き渡るようにして目覚めていくのです。

光圓流の生徒は、試合の直前にもナイファンチを打ちます。
単なるウォーミングアップではなく、型を打つことでしか発揮できない力の出し方を、ナイファンチを通して体の隅々にまで呼び起こすために、そうしているのです。

まさしく『闘える型』を実践しているといえるでしょう。

そのようなナイファンチを打つためには、どこに注意すればいいのか。

要点はいくつもありますが、ここでは骨格と腱に着目してみましょう。
空手の型は、構造力学の集大成であり、その構造を支えているのが、人体における骨格であるからです。

立ち方と姿勢を糺して、大地と調和する。
原動力を増幅させ、生みだした重さと速さを、構造力をもって四肢に伝える。

それが空手の型の基本であり、延いては極意とさえいえるかもしれません。
いずれも、骨格が最適な位置で機能してこそ可能となる。

しかし強い力を生みだそうとするほど、姿勢は崩れ、型も崩れていく。
そうした現実と、いかにして向きあっていけばいいのか。

光圓流では、どうすれば無駄な力を抜いていけるのかを指導していくことで、解決を図ります。

筋力に頼らず、構造に備わる力を最大限に活用して、立ち、動く。

立つことだけであれば、的確な指導を受ければ、即座にも可能です。

けれども動くことは、さほど容易ではありません。

速く強く動こうとするほど、体に染みついた癖や、積み重ねてきた思い込みが、動きとなって表面化してくるからです。

そういった悪癖を治すためにも、光圓流では空手の型を活用していきます。

どこから動くのか。その場合、動かしてはいけない箇所は、どこなのか。

手ずから相伝することによって、瞬く間に問題点は修整されていきます。

しかしながら、癖というのは手強く根強いもので、ほんの数日、稽古を怠っただけでも、元の姿を現してくる。

そこでも、ナイファンチの型が大いに役立ってくれます。

ナイファンチには、静と動が常在しています。
緊張と弛緩が、ほどよく中和された状態といってもいいでしょう。

能見師範は「空手の型は、筋トレじゃなくて、ストレッチやマッサージだと思って行うといいよ」と指導されます。

型は大きく、正確に打つ。

けれども、力は込めない。
正しい位置に正しい軌道で到達さえすれば、自ずと技は決まるもの。

力みを取り除いていくと、生徒たちも気づくようです。
「ナイファンチを打つと、体が勝手に動く。それが、とても心地よい」と。

首里手の型には、筋肉を縮めるだけでなく、緩めたり解放したりするといった効果が、最初から秘められているからでもあります。

それは骨格筋の連動や反射でもあり、筋肉や腱にとっては動的なストレッチやマッサージにもなっているのです。

だから心地よい。

さらには、整体の効果まである。

だからこそ、沖縄空手の長老たちは、七十歳を過ぎても姿勢がよく、気力に満ちあふれた動きをなさっているのです。

体を鍛えるという思いが強いあまりに、固めることや縮めることに意識がとらわれてしまうと、動きにも流動性がなくなっていき、それを年単位で繰り返すうちに、関節の稼動域までもが固着してしまう。

沖縄空手のよさは、そういった固定観念とは、正反対のところにあるともいえるでしょう。

温暖な風土と、大らかな人柄によって育まれた、ある意味では「テーゲー」な文化。
しかし骨太で、しなやかでもあり、生命力に満ちあふれている。

その象徴ともいえるのが沖縄空手であり、ナイファンチに代表される“打つほどに心地よくなる型”だといえるかもしれません。

ナイファンチの型は、いくら打っても飽きるということがありません。
それゆえ、何十回でも何百回でも打ち続けられる。

「きょうは、このくらいでやめておこうか」
そう思って、明日の仕事と稽古に備える。

打ち終わったあとも、心地よい余韻が続いていく。

空手の型が最高の文化遺産だというのは、稽古後の愉悦にこそ現れている。

悦びがあるからこそ、何十年にも及ぶ型稽古にしても、さしたる苦もなく続けていける。

 

愉楽の中に身を浸すようにして、ナイファンチを打つ。

 

けれども、楽しさや悦びと同じくらいの、計り知れない峻厳さが、その中では拮抗している。

すぐれた型は、鍛錬であると同時に、養生にもなっている。

 

鍛錬と養生が相俟ってこそ、いくつになっても壮健な身心を保て、気力に満ちた日々を送っていける。

これほどまでに、人生を豊かに育んでくれる身体文化は、世界中を探したとしても、そうそう見つかるものではないでしょう。