指導者紹介

師範 能見 一範

 鳥取県出身。昭和四十七年生まれ。

 

 武術指導者 著作家 情報処理技術者(より詳細なプロフィール)

 幼少時より、剣道、相撲などの日本武道に親しむ。
  しかし、元より運動神経も別段よい方ではなく、体格も小柄で体力にも秀でていなかったため、さほど活躍はしてこなかった。

 中学入学以降、自主的に体づくりを行うようになる。
 腕立て伏せ、腹筋、背筋、ジャンピングスクワットなど、自重を用いた多様な補強運動によって、およそ一年かけて身体能力を向上させ“体に芯が通った感覚”を掴む。

 十四歳、伝統派空手経験者の同級生と知りあい、二人で自主練を行うようになる。
 サンドバッグを実家の裏庭の小屋に吊して、日々一時間は黙々と突き蹴りを打ち込む。一ヶ月あまりで、順突き、鉤突き、前蹴りによって、40キロ以上あるサンドバッグを斜め上方へ跳ね上げられるようになる。

 

 十五歳の春、林派糸東流中国地区本部に入門。井上慶身先生(後の井上派糸東流宗家)より、近代空手の精緻な基本を学ぶ。
 入門一ヶ月後、林派糸東流中国四国大会に出場し、準決勝進出。優秀選手賞を受賞。
 入門半年(十六歳)で全国大会出場、当時インターハイ優勝校の柏原高校の主将と対戦し、苦戦の末に敗退。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入門一ヶ月で中国四国大会に出場

優秀選手賞を受賞

 

 それ以前よりボクシングジムへの出稽古などを行っていたこともあり、伝統派空手の寸止めルールの難しさと競技の特性への疑問を覚え、より実践的な技法の研究へ取りかかる。

 高校卒業後、上京。理工学系の上場企業や外資系企業に勤務する傍ら、さまざまな武術や格闘技を経験する。

 二十歳以降は、伝統派空手、グローブ空手、防具つき空手などの団体で、それまでの経験を買われて指導やコーチを引き受ける機会が増える。
 同時に実践や指導を通じて、体格差や生まれもった素質による壁というのを痛感しはじめる。

 二十代半ば、事故で大きな怪我を負い、これまで通りの動きができなくなったのを期に、より普遍性のある技術や理合を求めて、古武術の実践研究へ没頭するようになる。

 沖縄空手の優位性に気づき、型の再考をはじめたのも、この二十代半ばの時期になる。
 事故の後遺症によって体が満足に動かせない中、ナイファンチの型をやり込み、身体感覚や身遣いが大きく変化していく。

 二十代後半、山陰に伝わる「宿禰の伎」の研究過程で「地擦り足」や「風の手」といった行法を通じて、立ち方や姿勢や歩法の重要さに思い至る。さまざまな武術の理合や共通点が見て取れるようになり、力学的な解を得られるようになる。
 体格差のある相手と組手をしても、瞬時に崩したり浮かせたり当身を効かせたり、それまでとは異なる理合に基づいた技法を常用できるようになっていく。

 また、噂を聞きつけて訪ねてくるようになった他流の高段者との交流をはじめる。
 交換教授というかたちで、古流の型や独自の練体を修得していく。

 本土と沖縄の棒術の違いを検証し始めたのを皮切りに、武器術の再研究を開始する。

 三十代になり、伝統派空手やフルコンタクト空手の経験者から「習いたい」と声をかけられる機会が増えたこともあり、指導や普及を意識した稽古法の構築に取りかかる。

 三十五歳で独立、光圓流を立ち上げる。
 後進への指導を通じて、さらなる技術体系の確立と、競技での優位性を証明することによって、日本の伝統武術の復興と完成を目指し、人材育成を通じて広く社会に寄与することを志す。