舞足 ――音無しの歩み――

 

手は見せても、足は見せるな――

日本の武術の諸流派では、そう古くから言い伝えられてきたことでしょう。
いかに足捌きや歩法というのが重要なのかを、古流の宗家たちが知悉していたからに他なりません。

しかしながら、現代の競技化された日本武道においては、足捌きや歩法が軽んじられていたり、まるで蔑ろにされているという風潮が、得てして見受けられはしないでしょうか。

リズムを取って軽薄に飛び跳ねる。
蟹股のまま、床を揺らしながら近づいていく。
前足を高く上げて、床を踏みならして飛び込む。
そういった動作が、スポーツ化された武道競技では、日常化した風景になっています。

原因のひとつには、ルールの中での勝利に固執するあまり、動作が次第に変質していったということがあげられるでしょうか。

世界最大のスポーツの祭典である五輪の標語そのままに「より速く、より高く、より強く」を追い求めた結果ともいえるかもしれません。

しかし古くからの日本の武術においては、剣術にしても柔術にしても、飛んだり足を踏みならしたりといった動作は、よほど特殊な場合を除いて見当たりません。

(相撲などは、稽古では一見すると蟹股にも見える「四股立ち」を多用しますが、
 取り組みの際に基本となってくるのは、むしろ押し合いに強い「前屈立ち」になります)

古流の武術では、なぜ飛ばなかったのか。
それは“地を蹴らないこと”で、勝機を逃さないように備えるためでありました。

なぜ床を踏みならさなかったのか。
踏みならす着地点を決めた時点で、動きを読まれてしまい、変化に対応できなくなるという、負の要素を避けるためでした。

スポーツのように「目先の競い合いに勝つ」という目的が、そもそも武術には存在しなかったともいえるでしょう。

一か八かのような無茶はせず、勝つべくして勝つ。

ただ勝てばいいのではなく、できることなら無傷でやり過ごす。

場合によっては勝ち負けなど無視して、ひたすら無傷で逃げ切ることも視野に入れなければなりません。

無傷で切り抜けるためには、間合いを制御することが必須となり、歩法や足捌きが死線を分ける場面が多々生じてくる。

そういった智慧が、真剣勝負を経てきた武術であれば、稽古をするほどに深く息づいているのが実感できるようになるはずです。

光圓流の門下生は、入門して半年もする頃には、ほとんど足音を発てずに移動するようになっていきます。
それは稽古のときだけでなく、日常の生活でも変わりありません。
歩き方や身遣いまでもが、当流の奥深い稽古体系によって、根本から変化していった結果でもあるからです。

能見師範は体重90キロの増量時でも、まったくといっていいほど足音を発しません。
眼にもとまらぬような型を打つ際も、組手や多人数掛けで激しく動き回るような場面でも、ほとんど床さえも揺らすことなく、滑るように動き続けます。

それは強大な運動エネルギーを、完全なまでに制御しているからに他なりません。
この強大な力を余すところなく伝えることによって、相手を瞬時に吹き飛ばすことや、その場に昏倒させるといった絶技が、可能となっていくのです。

「ここまで素速くて完璧な擦り足は見たことがありません」
「足の動きが早すぎて、肉眼で追えない」
「上下動がまったくない」
「まるで舞のようです」
見学者の多くは、そのような感想を洩らされます。

師範の知己の方々には、能や舞踊の名手もいらっしゃいます。
そういった方々との交流の成果もあって、荒々しさ一辺倒だった古武術の技法が、次第に洗練された体系へと研かれていった形跡なども、当流の現在の稽古内容からはうかがえるかもしれません。

武術の世界では、長らく秘伝とされてきた歩法。
それらをまとめ上げた高度な稽古体系が、すでに光圓流には存在しており、すべての入門者に惜しみなく指導されています。

地擦り足、古式の四股、地水の行、脚行、一線、差し足、抜き足、千鳥足、ほむらの式、扉〈とぼそ〉、踵〈きびす〉、枢〈くるる〉、舞足――

そういった独自の稽古法によって、わずか入門半年での「音無しの歩み」を実現させているのです。

足音を発さないということは、そこに居着かないということでもある。
居着かないからこそ、変化にも対応できる。
変化に対応できれば、勝機を逃さずに掴むことができる。
また窮地を切り抜けることも可能となる。

音を立てずに歩めるか。

床を揺らさずに闘えるか。

それだけのことを試してみるだけでも、いくらか視界が開けてくるはずです。

日本の武術が、なぜ擦り足を重要視してきたのか。

そこに思い至ることが、我が国の武術を復興させていく上での、最大の手懸かりとなってくれることでしょう。