光圓流の特徴

 
光圓流では、古くより受け継がれてきた日本の武術を伝えています。無手の体術が根幹をなしており、「山の民」や「宿禰の末裔」に伝わってきた技法が、大元になっているのだと謂われています。そこへ中世以降、剣術や柔術や空手をはじめとする他武術の影響が徐々に加わり、現在へ到ります。
光圓流の技術的な特徴は、大きくわけて二つあります。
 
・立ったまま闘う(寝技はない)。
・当身に始まり当身に終わる。
 
投げ技や逆技や締め技も稽古しますが、仕掛けと仕留めには、必ず当身を意識します。仮に当身を出さなくとも、初撃の攻防で相手に当身を意識させておき、投げ技や逆技で決めた後も、当身で息の根を止めることを意識するのです。
 
光圓流では武器術も稽古しますが、あくまでも様々な気づきを得るためのきっかけに過ぎず、そうした経験をすべて無手の技術へ還元していきます。沖縄の空手家が、棍やサイを稽古しているのと、相通じるものがあるかもしれません。
 
光圓流には、いくつかの『行(ぎょう)』が伝わっています。この行法を通じて、自在に動く身体づくりに取り組んでゆくのです。
それら『行』の中には、沖縄空手を彷彿させる動きが、いくつも出てきます。
 
・波返し 鉤突き 裏拳 双手突き
 手刀 貫手 外受け 内受け 廻し受け 卍受け 掛け手 捕り手
 前屈立ち 騎馬立ち 四股立ち 猫足立ち 交差立ち
 
これらと非常によく似た動きが、行の中には現れています。
行を積み重ねることによって、ただひとり黙々と身体と技術と精神を錬磨してゆく。これこそが光圓流の基本にして核であり、そこへ込められた無言の思いは、伝統空手や沖縄空手と、まったく同じではないかと実感しています。
 
実際のところ、光圓流でも大正末期から昭和にかけて、空手の影響を色濃く受けるようになり、いくつかの『型』を稽古の中心に取り入れるようになっています。
光圓流の行法は「単式」のものが中心ですが、空手の型は「複式」です。空手の型は、ほどよい長さの中に、あらゆる技法が込められており、流れの中に潜在する実践性のみならず、わびさびといった様式美においても、現存する日本文化の中でも最高峰のものではないかと存じます。
私も空手の型を打つようになってからは、光圓流の「行」の中でも動きや効果の重複するものは、ほとんど修めなくなっているのが実状です。空手の型は、打てば打つほど奥深く、その完成度の高さと未だ全貌の見えない可能性とに、感嘆する日々を送らせてもらっています。
 
基本的には「立って闘う」という点こそが、空手と光圓流に通底する理念になるでしょう。
人類が二足歩行するようになって、自由に手を動かすことを覚え、劇的な大脳の発達を遂げたように、空手も立ち技のみを追及することによって、最速最短で最高の境地へ到る道筋を見いだしたのかもしれません。
 
立ったまま闘うといえば、もうひとつ日本には、馴染み深い武術が存在します。ご存じのとおり、相撲です。
光圓流にも「足の裏以外が地に着いたら破(敗)れる」という、相撲と同様の戒めがあります。
また、空手のナイファンチという型では「波返し」を行いますが、当流にも非常によく似た動作の現れている『行』があり、それを昔は「四股」と呼んでいたといいます。その逸話を聞いたとき、私は以前より常々「空手と古代の相撲は酷似しており、文化としての起源をたどれば同根だったのではないか?」と考えていたので、我が意を得たりと微笑んだものです。
空手と相撲を足したような体術――それが初見の人にとっての、光圓流の印象に近いかもしれません。
光圓流の源流は、古代の相撲にいたると言い伝えられています。
おそらく、空手の源流のひとつも、そこに行きつくのではないでしょうか。
 

寄稿 光圓流師範 能見