井上慶身先生の思い出

 

                             寄稿 師範 能見一範

私には、二人の空手の師がいます。
伝統派空手の師と、沖縄空手の師ということになるでしょうか。

今回は伝統派空手の師、井上慶身[いのうえ・よしみ]先生について記したいと思います。

幼少の頃から、相撲やボクシングを体験したり、剣道を学んできたこともあって、私は武術や格闘技への関心が人一倍旺盛な子供でした。

中学に上がると、映画「ロッキー」や「ベストキッド(KARATE KID)」の影響を受けて、本格的にボクシングや空手を学びたいという気持ちが強くなってきました。

そんな折、ひとりの同級生、A君と親しくなります。
A君は飄々としていて見た目も普通なのですが、不良っぽい生徒に絡まれても動じることがなく、不意に殴りかかられても軽々と躱してしまう。
彼は林派糸東流で空手を学んでおり、少年部の全国大会でも上位入賞の常連だったのです。

中学三年になると、私はA君と同じクラスになり、休憩時間のたびに「組手」を行うようになります。当初は蹴り技のみのライトコンタクトの組手で、馴れてきてからは突き技も加えて、顔面攻撃だけは寸止めにしてフルコンタクトで行うようになっていきます。
私の徒手格闘技経験は、当時はボクシングと相撲をかじっていた程度でしたが、わりと早い時期からA君を圧倒していました。

「素質があるので絶対に空手をやった方がいい」というA君の薦めもあり、中学卒業と同時に、私は林派糸東流中国本部道場へ通うようになりました。

そこで指導をされていたのが、井上慶身先生でした。

井上先生の技は精緻で素速く、道衣が空気を裂く音も、他の高段者とは一線を画していました。人がこのような動きをできるのか――という新鮮な驚きを覚えて、私も入門を決意したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井上慶身先生 四十歳当時

また三十年近く前の井上先生は、筋骨隆々とされていて、突き蹴りの威力にも目を瞠るものがありました。
「試合が寸止め形式だからといって、届かすだけの効かない攻撃はするなよ」
特に初心者には、そのように指導しておられたのが印象に残っています。

当時は、鳥取国体(わかとり国体)の組手の部の優勝者が、中国地区本部には勢揃いしており、道場は活気に満ちていました。

中国地区本部の中山三枝選手が女子の形の日本王者になり、世界王者を目指していた時期でもあり、井上先生は形の指導にも力を入れておられました。
中山選手の正確無比な技術と、それを築きあげていく指導者としての井上先生の姿を間近で拝見できたことは、多感な十代の自分にとって、とても貴重な体験となりました。

井上先生は高度で的確な教えによって、中山三枝選手を世界王者に君臨させ、その後も諸岡奈央選手、宇佐美里香選手を次々と育てあげて、女子形の名伯楽として知られるようになっていきます。

形の指導で印象的だったのが「見た目がよくないと点数が入らない」「腕(技量)が同じなら、見た目で決まる」「だから技は見栄えをよく、女子は化粧も憶えるように」というような、非常に合理的な判断を早くからなされていたことです。

中山三枝選手以前は、女子形というのはまだ普及段階で、どちらかといえばマイナーな競技だったように記憶しています。
その女子形をメジャーにしていくという計画が、当時から井上先生にはおありだったのかもしれません。

そのためには、一般人をも惹きつけられるような、わかりやすくて美しい形を演じなければならない。
中山選手以降、女子形は男子形とは趣を変えて急速に広まっていくのですが、そうした流れを築いたのも、井上慶身先生の功績といえるのではないでしょうか。

指導に関しては常に合理的で、新しいものを採り入れていく柔軟性を備えていた井上先生ですが、一方では武術としての空手を伝えていくことの難しさについても、よく語って聞かせてくださいました。

「今の空手はスポーツになってしまった。それはそれでいいんだ。でも、それだけだと武道としての空手はどんどん消えていってしまう。腹式呼吸で動いてる者が、今どれだけいる?」

夏の合宿の最中にそのように話して、呼吸法を丁寧に指導してくださった井上先生の姿を、今でも思い出すことがあります。

井上先生は情に厚く、私たち生徒ひとりひとりにも、とてもよくしてくださいました。
いつでも稽古ができるように本部道場の鍵を開放してくださり、入門したばかりの私にもマンツーマンでの緻密な指導を幾度にも渡って行ってくださいました。

あの頃に習った内八字立ちの基本や、前蹴りや中足での廻し蹴りは、当てる形式の試合でも応用が効く、非常に完成度が高い内容でした。

指導内容も、いま思い返しても高度で素晴らしいものでした。

「体軸は、まっすぐ。けれど“竹”がしなるイメージで」
「技は、体の極めと同時に。拳体一致」
「今あるところから最小限の動きと最短のコースで技を出す」
「足で蹴るのではなく、背中側の腰の上方から蹴りを出す」
「熟練者は、突きを体幹から出すように」
「空手とは、feeling(体の感覚)とcase by case(臨機応変)」
「稽古は頭を使って、よく考えながら行うこと」
「呼吸は常に自然に。呼吸を止めて、極めを作ろうとしないこと」

三十年近く前から、これほどの指導を井上先生は惜しみなくしてくださっていたのです。

「能見の高校に空手部をつくってやろうか?」
入門して二ヶ月が経った頃だったでしょうか。井上先生が、そう仰ったこともありました。
私が通っていた高校には空手部がなかったため、 このままだとインターハイに出られないだろうと、そんなことまで井上先生は気にかけてくださっていたのです。

私自身は結局、伝統派空手のポイントルールの試合に難しさや疑問を覚え、当てる試合への興味が募ったこともあって、林派糸東流には一年あまりも在籍していなかったことになります。

けれど、井上先生に教わった基本は、その後も自らの体に残っていて、武術を研究していく上で大いに役立ってくれました。

最後に井上先生とお会いしたのは、四年ほど前になるでしょうか。
繁華街で偶然に再会して、時間が経つのを忘れて話し込んだのを覚えています。

「お変わりないですね」と自分が言うと、井上先生はロマンスグレーの頭髪を示して「でもこんなに(髪が白く)なってしまったよ」と微笑まれました。

諸岡選手や宇佐美選手の躍進について、また井上先生の海外でのご活躍についても、自分は存じていたのでお話ししました。

「井上先生のブラジルセミナーの映像を見ましたけど、猫足立ち下段手刀受けの切れ味は、未だに世界一ですね」と自分が言うと、先生は愉快そうに笑っておられました。

最後に「先生に教わった基本が、今でも自分の武術の中に活きていますから」とお伝えすると、井上先生は満足そうに頷かれました。

とてもお元気そうに見えたので、まだまだ十年は世界各地を飛び回って指導に奔走されるのだろうと思いながら、井上先生の後ろ姿を見送ったことを覚えています。

 

それなのに今春、井上先生の訃報を受けて、大変驚きました。

還暦を迎えても尚、形の現役世界王者よりも切れのある動きをなさっていた井上先生。

その高度で的確な教えと、数々の映像資料が、今後の空手界の発展を支えてくれることを願ってやみません。

指導中は厳しくとも、井上先生は常に生徒ひとりひとりの限界を見極めていて、決して無茶はさせていなかったのが、今となっては自分にもよくわかります。

冗談が好きで、稽古で小休止するたびに、生徒を笑わせていた井上先生。

壮年以降の脱力した道着姿。

そこから刹那に放たれる、美しい蹴り技、最高の切れ味の手刀と突き技。

今でも目の前にいるように鮮やかに、在りし日の井上先生を思い出すことができます。


                    平成二十七年八月  追悼にかえて