着物と履物――生活習慣が培う身体性

 

現代日本人の大多数は、洋服を着て、靴を履いて生活しています。

歩くときは両手を振り、腰をひねって前に進む。

ベルトラインで上体と下半身が途切れており、靴にはヒールがあって前傾を余儀なくされている。

 

そのため爪先で地面を蹴るような動作で歩くことになり、アキレス腱や脹脛に疲労がたまりやすい。

骨盤も左右に捻られるので、仙腸関節が堅い人は、腰にまで負担がかかってくることでしょう。

それを避けようとしてなのか、歩き方を崩したり、偏った姿勢で歩いている人も、よく見受けられます。

 

昔の日本人は、和装で生活していました。

帯で腰は固定され、骨盤を左右に振って歩くと、着物もはだけやすい。自然と姿勢を正すことになり、わずかに仙骨と腸骨を滑らせて歩く動作が身についたはずです。

 

足元も、鼻緒のついた履物が主流でした。

地面を蹴って歩くと、かかとが上下して音をたてるので、擦り足気味に歩を進めるようになる。

鼻緒によって、歩くたびに足の指も働かせることになり、足裏の中心がどこにあるのかという感覚も芽ばえていきます。

足裏の感覚が発達すると、足首や膝も地面にたいしてまっすぐに通せるようになり、長距離を歩いても驚くほど疲れなくなる。

(O脚やX脚というのも、もしかしたら靴が普及する以前の方が、ずっと少なかったのではないでしょうか)

 

昔は道路も舗装されていなかったので、地面を蹴って進むということが、まず困難でした。

乾いた土の上を裸足で歩けばわかりますが、蹴って進むには相当な摩擦がいるのです。

フィールドで行うスポーツ競技では、なぜスパイクを着用するのかを考えるとわかりやすい。

 

では未舗装の路面を、いかにして歩いていたのか。

重心移動と、それに併せた足運びに拠ってです。

 

現代人の多くは、上足底や爪先で地面を蹴り、脹脛や大腿の前面を使って歩いています。

しかし昔の日本人は、臑の前面、内転筋、大腰筋、後足のハムストリングスなどを同調させることによって、足を運んでいたのです。

 

地面に頼らないことで、しっかりとした足腰が育成され、肚で動くという感覚が芽生えてくる。

姿勢も崩れなくなり、どんな体勢であろうと正中線を意識した身のこなしが可能となっていく。

 

また、こうした動きは、日本の武術では基本でもあります。

 

剣道や伝統派の空手などは、遠間からの直線的な攻撃が主流です。

試合で勝てない選手は、飛び込もうとして地面を蹴る予備動作が大きい傾向がある。

勝ち上がっていく選手は、前足の上げ方や後足の寄せ方が巧みで、その中に地面を蹴る動作を隠しているのが見てとれます。

 

空手の型にも、似たような現象が見受けられます。

見栄えを重視した競技用の型では、地面を蹴るという動作が意外と目立ちます。表面上の動きだけを見れば素速いのですが、溜めや反動が生じるので、武術的には隙も大きくなる。

反対に、実践的な流派の型では、溜めや反動や地面を蹴るという動作が、極力排除されているのがわかるでしょう。

 

古流の型に通じてくると、驚くほど激しい動きをしても、道衣や帯が乱れなくなってくる。

そのような動きが身につく頃には、軸も強力になり、崩されにくい体ができあがっていることでしょう。

 

日本の武術には元来、無駄な動きが少ない。

そうした合理性は、日常的な生活習慣からもたらされたものでもあったはずです。

 

そのあたりを踏まえて人の動きというのを観察してみると、生活様式がいかに身体性に影響を与えているのかにも思い至るのではないでしょうか。

 

着物と履物の生活を送るだけでも、多くの気づきが得られるかもしれません。

まずは夏場だけでも、サンダルをやめて、雪駄を履いてみるのはいかがでしょうか。

浴衣で夕涼みするのも、この時期は風情があっていいものです。

 

着物に袖を通すと、心が静まります。

帯を締めると、身も心も引き締まります。

 

稽古に備えて道衣に着替えるたび、長い歴史に育まれた日本の文化に、感謝の念を抱くようになるかもしれません。

武術もそうした文化の集大成であり、日本人が育んできた智慧の、ひとつの到達点といえるのではないでしょうか。