「その場基本」の重要性


稽古事では「基本が重要」だとよく云われます。
学業や仕事の場においても、まず基本を覚えてから、実践や応用へ入っていく。
武術においても、何よりも基本が大切、基本の中に極意がある、という表現がなされることは少なくありません。

近代空手では「その場基本」や「移動基本」といった基本稽古の先に、約束組手や自由組手を修得していく流派が多いことでしょう。

しかし空手の基本動作は、そのままでは組手で使用するのが難しいのではないか。
そう実感している経験者も相当数いるはずです。

サンチン立ちや騎馬立ちで、正拳突きを行う。
日々の稽古で板に付いてきたはずの動作なのに、いざ組手になると「まったく違う突きのようなもの」しか出せなくなる。
そうした経験から、基本の重要性どころか、基本をやることの意味や目的がわからなくなっている空手経験者というのは、意外なほど多いようです。

なぜ基本が重要なのか?

それを知るには、やはり自らが「基本の練度」を上げていくのが近道です。
基本が身についた後とそれ以前では、動きの質が大きく変化しているからです。

また、動きの質を変化させるための勘所が、基本稽古には余すところなく折り込まれているのにも気づくことでしょう。

・立ち方を安定させる。
・骨格やバランスを意識する。
・どこから力を発するのか。

・力の抜き方と込め方。
・体軸は動きの中で、いかに維持すべきか。
・技の軌道や引手は、どのように行うのが最適なのか。

基本を繰り返し、伎量が増していくにしたがって、そのあたりも徐々に明確になってくるでしょう。

きっかけは実践なのです。
論よりも証拠で、自らの身体を通して試してみる。
そこで得た体感が、自らの伎量だけでなく、他者の力量を見抜くための眼力にもつながっていく。

 

また実践していく際に、道標となってくれるのが、師や先達の動きです。
すぐれた実技を間近に目にすることで、それまでの常識が覆されて、限界だと思っていた地点を軽々と超え、飛躍的に伎量も伸びていくことでしょう。


どのような空手流派であれ、一時代を築くような選手は、理に適った基本を身につけているものです。

名選手ともなると、基本を押さえているのは当然ながら、それぞれの個性が単調ともいえる基本動作の中にまで表れてくる。
同じ基本をやっているようでも、そこには速さや切れ味、あるいは力強さや重厚さといった特徴が、明確に体現されてくるのです。
しっかりとした基本を身につけているからこそ、持ち味や特色が現れているともいえるでしょうか。

反対に、たとえ大会上位入賞者でも、翌年には消えていくような選手も数多くいます。
そういう選手は、得てして運動神経がすぐれており、ミット打ちやシャドウは巧いものです。
しかし、その場基本のような単調な動きでは、練度が今ひとつという傾向が見受けられる。

そうした練度の差が、連勝や常勝を続けられるかといった安定感にまで直結してくるともいえるでしょう。

基本ができている人間には、自らの技の微妙な狂いが判断できます。
それがわかるからこそ、対戦相手の些細な癖や技の起こりなども、瞬時に見抜くことができるようになる。

この眼力を研くことで、実践において欠かせない反応力も、格段に高めていくことが可能となるのです。

微妙な差違を感じとるためには、なるべく単純で明解な動きを繰り返すのが早い。

だからこそ「その場基本」のような原理原則を身に染み込ませることが、上達への着実な手がかりとなり得るのです。

 

また長年稽古を続けていると、体の各部分に疲労や癖が蓄積していきます。
間違った基本を継続していると、骨格筋が偏ったり、骨格がずれてくることもめずらしくはない。ただ技が崩れていくだけでなく、加齢による衰えや故障を引き起こす原因となっていることまであるのです。

そうならないためには、なるべく早いうちから、理に適っていて崩れない基本を身につけておくのが最善です。

 

当流の能見師範は今年四十三歳(2015年)になりますが、基本の練度は毎年のように上がり続けているとおっしゃいます。
やればやるほど、速度も重さも増していき、技の起こりも消えていく。
それが光圓流の基本稽古だと、身をもって示してくれています。

 

基本は、いわば砥石のようなもので、粗砥を用いて急速に技を研ぎすますようなこともできれば、目の細かい砥によって、より繊細な動きへと研き上げていくといったこともできる。


衰えを感じたりスランプになったとき、揺るぎない基本が身についていれば、何が原因なのかにも自ずと思い至り、基本を通して修整することが可能となる。

それは切れ味を失った刃物を砥石で研ぎ直すのと、とてもよく似た工程といえるでしょう。

手軽に日々ひとりで行えるところにも、基本稽古の大きな魅力というのがある。


近代空手の優秀性は、合理化された基本稽古にある、といっても過言ではないかもしれません。

その場基本で、受けや突き蹴りの概要を覚え、それらを移動基本で発展的に使えるようにしていく。
いきなり移動稽古では難しくてついていけない生徒がいても、その場基本をやり込むことで技の通り道ができるため、移動稽古もこなせるようになっていく。

こうした「基本稽古」という体系があって、ようやくそれぞれの流派の動きというのを、より多くの人間が共通して身につけられるようになっていったのでしょう。

また空手の基本のよさは、古来より受け継がれてきた型から抽出されたものであるということ。
そこには「高度な身遣いを誰にでも学べるように」といった先達の智慧と思いが現れています。

その場基本を積み重ねることで、やがては外形を守るだけでなく、体の内側にも「基本の通り道」が育っていくことでしょう。

いずれは、外側を動かさずとも、内側から力を発することができるようになる。
そういった感覚も、その場基本を集中して行うことで、短期間で芽ばえてくるはずです。

ここまで来れば、運動神経のよい相手や体格差のある人間にも、技を効かせられる道筋というのが見えてくる。
逆説すれば、運動神経や体格に恵まれていない人間ほど、基本稽古への取り組みが重要だともいえるでしょう。

しかしながら、効果的な「その場基本」というのは、なかなか指導や継承が難しいようでもある。

光圓流には、さまざまな流派の経験者がお見えになりますが、もっとも多かった感想が「能見師範の基本技の練度に驚いた」「光圓流の基本はきつい分、効く」といったものでした。

「普段の自分の基本は効いていなかった。省エネしてしまって鍛錬になっていなかったんですね」と正直に打ち明けられた他流の高段者の方もいらっしゃいました。

基本に迷ったときには、ぜひ当流を訪ねていらしてください。

姿勢や立ち方の重要性、引手や身遣いや正中線の意味、何が上達を妨げているのか、どこに留意すれば動きの質が変わるのかを、師範の能見がひと目で質の違いのわかる動きと共に、実践した上で丁寧に指導して参ります。